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LACAN / LANGUAGE / DESIRE

ラカンの欲求・要求・欲望とは?

欲求・要求・欲望は、日常語では似た響きを持ちます。ラカンの1958年論考では、身体的な必要が言葉で相手へ向けられるとき、何が加わり、何が充足だけでは説明しきれなくなるのかが問われます。

暗い背景で向かい合う二人の輪郭を、赤と白の渦と金色の小片が囲む抽象画
《紅の抱擁》。画面の人物、作品名、鑑賞者が発する問いを分け、対象を見ることと言葉で誰かに向かうことの関係を考える入口です。

先に答え

ラカンの1958年の議論では、欲求(besoin)は身体的な必要、要求(demande)はその必要を言葉にして〈他者〉へ向けること、欲望(désir)はどちらかの充足だけには還元できないものとして区別されます。三語は、同じ「欲しい」を言い換える語ではありません。

三つの語を並べる

語この論考での焦点一杯の水の例
欲求
besoin / need
身体が必要とするもの喉の渇き、水分を得ること
要求
demande / demand
必要を言葉にし、〈他者〉へ差し向けること「水を一杯もらえますか」と相手に頼む
欲望
désir / desire
欲求の充足や要求の内容だけでは尽くせないもの水が渡されたかだけでは捉えきれない問い

ここでの「要求」は、経済学の需要や命令・わがままを意味する語ではありません。必要を言葉にして誰かへ向ける働きを指します。

一杯の水を頼む場面から読む

喉が渇いた人が「水を一杯もらえますか」と頼む場面を考えます。喉の渇きは身体的な欲求で、言葉を相手に向けることは要求です。水を受け取って身体の必要が満たされても、頼んだ言葉が誰かへ届き、返事を受けるという関係まで、水の受け渡しだけに置き換えられるとは限りません。

これはこの記事の説明例で、ラカンの原典にある逸話でも、すべての会話に当てはまる心理法則でもありません。「本当は愛を求めている」と人の意図を外から決めるのではなく、物の充足と、言葉が相手へ向かうことを見分けるための比較です。

「要求から欲求を差し引く」とは

ラカンの欲望論は、「欲望は要求から欲求を差し引いたもの」と要約されることがあります。ここでの差し引きは量の計算ではありません。身体的な必要が言葉の要求になると、言葉は求める物だけでなく、応答する相手や返事の有無にも関わります。そのため欲望は、要求の中の「まだ手に入らない物」や、愛を求める要求そのものと同じではありません。

この区別を使うと、欲しい物が渡されたかだけでなく、その言葉が誰に向けられ、どのような応答を求める形になったかを読み直せます。

〈他者〉は、目の前の相手そのものか

この論考でいう〈他者〉(Other)は、会話相手の個人や性格そのものではなく、言葉やシニフィアン(言葉の音や文字など、意味を生む働きを持つ記号)が働く象徴的な場所を指します。要求は目の前の誰かへ向けられることがありますが、〈他者〉という場所と、その相手の人格とは同じではありません。

ラカンは、求めた物が相手の愛のしるしへと意味を変えることに注目します。要求には相手の存在や不在への関わりが含まれ、物を受け取ることと愛の証しを求めることが重なります。欲望は、その身体的な満足にも愛の要求そのものにも収まりません。

1958年の論考と、その後の読み

ここで扱うのは、ラカンの1958年論考「La signification du phallus」のうち、要求・欲望・〈他者〉に関わる箇所です。Adrian Johnstonの概説は、1950年代のラカンを need・demand・desire の区別と象徴的な言葉の場所から再構成しています。これは学術的な整理であり、心理実験の結果を示すものではありません。

原和之の2015年発表要旨は、身体的な満足、〈他者〉へ向けられる要求、そのいずれとも異なる欲望という三つの水準を示し、後の身体・欲動・対象aをめぐる議論への組み替えを歴史的な見通しとして述べています。1958年の一論考を、ラカンの思想全体を説明する完成公式として扱わないための視点です。

《紅の抱擁》で、視線と言葉を分ける

暗い画面のなかで、二人の輪郭が向かい合い、赤と白の渦や金色の小片が周囲を囲みます。画面に描かれた人物、作品名《紅の抱擁》、それを見た鑑賞者が口にする問いは、それぞれ異なる位置にあります。

二人の輪郭を対象として見ることと、「この像は何を向かい合わせているのか」と誰かに問いかけることは、同じ動きでしょうか。作品を理論の図解にせず、見ることと言葉を誰かへ向けることの違いを考える入口にします。

Sources