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MUSIC / FRISSON / EMBODIED RESPONSE

音楽のフリッソンとは?

音楽を聴いてぞくっとする感覚は、本人の報告、皮膚に見える鳥肌、脳活動の記録で別々に捉えられます。フリッソン研究の方法を分け、何が測られ、何がまだ言えないのかを読みます。

暗い背景で、紅い光の波と金色の粒子に溶けていくチェロの黒い輪郭を描いた抽象作品
紅い波と金色の粒子にほどけるチェロの輪郭。音のない図像から、聴こえるものを待つ感覚を考える。

短く答えるなら

音楽のフリッソンは、聴くことで強い感情が生じたときの、短いぞくっとした体験です。鳥肌を伴うこともありますが、その感じと皮膚に見える立毛は同じ測定ではありません。本人の報告、皮膚の映像、脳波(EEG)で記録する脳の電気活動は、それぞれ別の反応を捉えます。どれか一つを感動全体の尺度にはできません。

フリッソンと、測定される三つの反応

研究でいうフリッソン(frisson / aesthetic chills)は、音楽などに触れたときの短いぞくっとする感覚を指します。場合によって鳥肌を伴いますが、本人が感じた「ぞくっ」と、毛が立ち、皮膚が盛り上がる立毛(鳥肌)が見えることは同一ではありません。快いか、どれほど興奮したかという評定も、本人が答える別の測定です。

観察の層方法の例そこから直接は分からないこと
本人の体験視聴中のボタン報告、後からの快・興奮の評定皮膚に立毛が見えたかどうか
身体に見える反応皮膚の映像を評価者が確認する本人がどんな感情を感じ、音をどう解釈したか
脳波(EEG)電極で、脳の電気活動に伴う信号を記録するそれだけでフリッソンや快感が起きたと断定すること

方法が違えば、答えられる問いも違います。自己報告と身体観察のどちらかを「本当の感動」と決めるのではなく、研究が何を記録したのかから読み始めます。

2023年の研究:ぞくっとした人の評定

Jainらは、米国在住で英語を母語とするオンライン参加者に、音楽・映画・スピーチから選ばれた50本の動画のうち1本を見てもらいました。視聴中、ぞくっとしたときにボタンを押してもらい、視聴後には体験の快さと興奮の程度を本人が評定します。フリッソンを報告した人たちは、報告しなかった人たちより、その体験をより快く、より興奮するものと評価しました。

これは体験者と非体験者の評定を比べた結果です。参加者を無作為に「フリッソンを起こす群」へ割り当てた実験ではなく、ボタン報告も快さ・興奮の評定も自己報告です。使われた動画と募集方法も限られるため、この結果からフリッソンが快さを引き起こした、あるいは一般の人の何割に起きるとは言えません。

2024年の研究:映像で見る立毛と、繰り返し

McPhetresらは、本人が感じたことだけでなく、皮膚に実際に現れる立毛(鳥肌)を映像で調べました。第1研究では80人に7本の動画を見てもらい、腕やふくらはぎ、太ももの4か所を撮影して、独立した評価者が立毛を判定しました。第2研究では27人分のデータを分析し、2本の動画のうち1本を5回続けて見てもらいました。

反復視聴では、驚きや感情、視聴への関与についての評定が低下する一方、一部の参加者では5回目にも立毛が観察されました。立毛の発生回数も少し減っており、身体反応がまったく変わらなかった、あるいは全員が毎回鳥肌を立てたという結果ではありません。この結果は女性が多い標本と少数の動画による短期の反復を扱ったもので、すべての音楽で感情と立毛が無関係だと示すものではありません。

予測と身体を結ぶ、理論レビューの提案

Schoellerらの2024年の論文は、新しい参加者実験ではなく、フリッソンの神経生物学を整理する理論レビューです。音楽への期待や予測と、脳・身体の感覚がどう結びつくかを、一つの説明モデルとして検討します。ここからは、感動を特定の和音や単一の脳内物質だけで説明するのではなく、聴く人の予測と身体感覚の関わりを問う視点が得られます。

ただし、レビューが扱う神経研究の多くは音楽に関するものです。同じ神経の仕組みが映画、スピーチ、物語、あらゆる芸術に当てはまると一般化することは、論文自身の射程を越えます。理論上の提案と、個々の実験で観察された結果も区別しておきたいところです。

個別プレイリストの研究が比べたもの

Kondohらの研究は、音響特徴から快さを予測するモデルと耳の中で記録するEEGを組み合わせ、好みに合わせたプレイリストを検討します。抄録と図の説明によれば、快さを高める方向に調整してEEGを使ったプレイリストは、快さを下げる方向のプレイリストより、本人が報告したフリッソンが多く、快さの評定も高くなりました。ここで比較されたのは設計の異なる特定のプレイリストです。

この抄録だけから、EEGがなければフリッソンが起きない、すべての選曲法より優れる、あるいは客観的な鳥肌や健康上の効果まで確認されたとは言えません。脳活動の記録と本人の体験評定は、同じ測定項目ではないからです。

YOKUDŌの読み方:音の前にある待ち時間

チェロの輪郭が紅い光の波に溶け、金色の粒子がその周囲を流れる。ここに音は鳴っていません。それでも、見る人は次の音や旋律の行き先を思い浮かべるかもしれない。この静止画をフリッソンの測定図としてではなく、音が届く前に期待が形を取りはじめる時間を考える入口として読むのが、YOKUDŌの解釈です。

感動は、目立つ身体反応の強さだけに宿るわけではありません。鳥肌が立たない静かな集中も鑑賞の一部として残せます。ここでは体の反応を感受性の順位づけに使わず、本人の報告、見える身体、記録された信号を、それぞれの距離を保ったまま眺めます。

研究で測れることの範囲

フリッソンの有無だけで、作品の価値や聴き手の感受性を決めることはできません。どの音楽に、どのような反応が現れるかは、使われた刺激、参加者、記録方法に照らして読む必要があります。ここで扱うのは芸術経験の測定方法であり、診断や治療の案内ではありません。

Sources