FREUD / THE UNCANNY / FICTION
フロイトの「不気味なもの」とは?
フロイトの「不気味なもの」は、ただ見慣れないものへの恐怖ではありません。彼は、親しさや家を思わせる「heimlich」と、隠されたものを意味する語の重なりから、親しいはずのものが異質に立ち現れる経験を読みました。抑圧からの回帰、反復、物語が先に決める世界の前提をたどります。
短く答えるなら
フロイトの「不気味なもの」は、なじみ深いものが隠されていた内容や信念の回帰によって、よそよそしく現れる経験です。彼はその働きを、抑圧からの回帰や反復、物語が定める世界の前提から考えました。見慣れないものだけに限られる概念ではありません。
「heimlich」は親しいこと、隠れていること
ドイツ語の「heimlich」には、家に属する、親しみのあるという意味と、内密の、隠されたという意味があります。フロイトは、この二つの意味が反対に見えながら重なっていく語の歴史をたどり、「unheimlich」を、単に未知のものとは異なる経験として考えました。よく知っているものが、見えないはずのものを含んでいたと気づくとき、親しさは異質さへ傾きます。
彼は先行するイェンチュの「知的な不確かさ」という説明を紹介しつつ、それだけでは十分でないと論じます。人形が生きているのか、生命のあるものが機械なのか分からないという迷いは一つの手がかりですが、フロイトが重視するのは、抑圧された心的内容がよそよそしい姿で戻ってくる道筋です。
抑圧から戻るものと、反復して出会うもの
フロイトはホフマンの『砂男』を読み、オリンピアという人形だけを不気味さの中心に置いたのではありません。彼が重視したのは、主人公の幼少期に結びつく「目を奪われる」恐怖であり、それを当時の精神分析における去勢不安として解釈しました。これはフロイト自身の歴史的な理論解釈で、現在の読者すべてに当てはまる原因の説明ではありません。
論文では、意図せず同じ道へ戻ることや、何気ない数字を何度も目にすることも、反復が日常の手触りを変える例として挙げられます。ひとつひとつはありふれた出来事でも、繰り返しが重なると、偶然が別の意味を帯びたように感じられる。フロイトはこの印象を不気味なものの議論に組み込みますが、反復は超自然的な力の証明でも、個人を診断する手がかりでもありません。
さらに彼は、不気味さを、抑圧された内容が戻る場合と、乗り越えたと思っていた古い信念が再び本当らしく見える場合に分けます。過去のものが再び現れればいつでも不気味だ、という一つの仕組みにはまとめていません。
同じ仕掛けでも、物語の前提で変わる
童話の世界では、人形が話す、物が動く、魔法が働くことが、その物語の約束として受け入れられています。フロイトは、そうした出来事が童話の中でただちに不気味さを生むわけではないと指摘しました。何が起きるかだけでなく、その世界で何が通常のこととされているかが、読み手の受け取り方を変えます。
反対に、現実らしい日常が続く物語では、隠されていたものが突然その日常へ戻ることで、見慣れた世界の規則そのものが揺らぐことがあります。人形や分身といった同じ題材でも、物語の枠組みや視点が違えば、驚きにも不気味さにもなりうる。これは刺激の一覧ではなく、物語の前提を読む視点です。
森の「不気味の谷」は、別の問い
森政弘は1970年、人間らしさが増すにつれてロボットへの親近感が高まり、ある範囲で落ち込んだ後、さらに人間に近づくと再び高まるという仮説を示しました。動きが加わると谷が深くなる可能性も論じています。これは人間に似た人工物への親近感をめぐる森の仮説で、フロイトの「不気味なもの」の定義でも、誰にでも共通する境界を測った法則でもありません。
『砂男』を空間として組み直す
Elizabeth Dearnleyは、ホフマンの1816年の物語をもとにした2019年のインスタレーションについて、2020年に自身の制作として記述しています。15分の音声による語り、子ども時代の家を思わせる空間、古い写真、オルゴールや時計の音、歌声を組み合わせた構成です。音の構成はTamsin Dearnleyが手がけ、懐かしさと居心地の悪さが並ぶ場を形づくります。
ここで親しさは、過去をそのまま再現するためではなく、物語の中へ入る足場になります。フロイトの論文に出てくるモチーフを、聞く時間や室内のしつらえへ移すことで、読むだけの場合とは異なる枠組みがつくられています。これは制作者による作品の説明であり、観客の反応を測った研究ではありません。
YOKUDŌの読み方:静止した形に動きを想像する
頭部と下腕のない、衣服姿の像のような形の上に、左右へ開く翼を思わせる形が浮かんでいます。赤い雲のような広がりと金色の点は、暗い背景の中に散っています。画面は像と翼の位置を示しますが、翼が動くところや、像とつながる瞬間までは描きません。
見る側がその形どうしを結び、次に何が起きるかを物語にするかどうかで、同じ静止画の見え方は変わります。ここでは、親しみのある身体の形と、説明されない余白の組み合わせを考える入口にしています。これは作品についての一つの読解で、フロイトとの影響関係を示すものでも、必ず不気味に感じるという説明でもありません。
「不気味」を読むときの手がかり
フロイトは親しいものが抑圧や反復に触れて異質に戻る経路を、森は人工物の人間らしさと親近感の関係を仮説として、Dearnleyは物語を空間に組み直す制作を扱いました。人形や分身という似た題材だけで一つに束ねず、誰が何を手がかりに論じているのかをたどると、「不気味なもの」は一つの原因ではなく、親しさが物語の中でどう変わるかを考える言葉として読めます。
Sources
- Sigmund Freud, “Das Unheimliche,” Imago 5, 297–324 (1919); German transcription, Project Gutenberg eBook (2010), §§I–III — heimlich/unheimlichの語義、抑圧からの回帰、反復、童話の前提に関する原論文を参照。
- Masahiro Mori, “The Uncanny Valley,” Energy 7(4), 33–35 (1970); authorized English translation by Karl F. MacDorman and Norri Kageki (2012), IEEE Spectrum — 人間らしさと親近感の仮説、および動きへの短い言及を参照。
- Elizabeth Dearnley, “The Sandman,” Freud Museum London (2020-02-04) — 2019年のインスタレーションについての制作者自身の記述を参照。